M a r t i n i q u e 

桟橋におりたって


桟橋に降りたって
ゆっくりと 見知らぬ村に
わけいっていく。
まっすぐ目の前に ちいさな教会。
レ・ザンス・ダルレの人々は
不思議そうな顔で異邦人を
みつめる。けして愛想はよくない。
自然なことだ。
見知らぬ人間に出会うことなど誰も
予期せぬ 場所なのだから。

       

 
           
      陽射しと 見知らぬものから
身をまもるため
どの家も 窓をとざしている。
青と黄色は 太陽と海の
ツートンカラー。

旅人はいつだって 自分が
招かれざる客ということを
忘れずにいるべきだろう。
そして招かれたら 驚きをもって
素直に 感謝すべきだろう。
 
           
      ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の大好きな本をこの島にもってきた。ハーンは、一八八七年から
二年間を この島ですごしている。
短編の中でも好きなのは、
「わが家の女中」。
ハーンが雇っていた女中の
シリリアの話だ。
もう 数え切れないほど
読んだのに 読むたび 彼女が
いとおしく 涙がでそうになる。

ゾンビを信じ、
日々の暮しにたくましく、
日食をお月様とお日様の喧嘩だと信ずる、子供のようにあどけない
クレオール女 シリリア。
写真の中の娘が
なんで喋れないのかと
不思議がって聞くシリリア。
 
           
      ハーンが彼女を想い書いた
あまりに豊かな一節。
この村を歩いてたら 思い出した。

「世の中には冷酷な者もいて、人の魂など似たりよったりだから、
愛情にも代わりはすぐ見つかる、
善意だって何も世の中に唯一無二の
その人だけのものではなくて、
ある階級や人種に共通の特徴に
すぎないから、こちらからせっせと捜し求め好き勝手に利用すればよい、などと考える。
こんな奴は呪われるがいい!
愛の神聖さを否定する者は、
自らを呪う者だ。億兆もの人々の心や頭は、この悲しみの世にあるかぎり、一人一人特別の感じ方、考え方を持っている」
 
           
     
迷わぬよう
振り返り 振り返り
歩きつづける。
屋根には薄くてまるい
マルティニーク版の瓦。
一枚一枚の色が
すべて違う。静かな村では
雨が降ったら
にぎやかな雨音の音楽が
一斉に はじまりそうな
屋根、屋根、屋根。
 
           
      閑散としたひと気のない
場所に見えるが、
本当は人も 見かけた。
迷路のようにいりくんだ路地の
そこかしこで。
でも写真は撮れなかった。
撮らせてくださいと
言えなかった。

フランス語ではなく
クレオール語を喋れたら
明るく 話しかけられた気がする。
シリリアみたいな この村の
女のひとに。

「中にはシリリアの嬉し涙を見て、
蔑みの笑みを浮かべる者もいる
かも知れない。私にはその笑いが
『生命をお与え下さる方』への
許し難い罪に思えてならない」
(クレオール物語 小泉八雲
平河祐弘 訳/講談社学術文庫)
 
  in Les Anses d'Arlets, Martinique        
           


n e x t h o m e island dreams