Book
Essay
 すべてを繋ぐ旅。  単行本「フラグラーの海上
鉄道」に関するエッセイ

初出/青春と読書
2002年5月号

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 いつでも旅をしている、という感覚が私にはつきまとっている。
 日本語の通じないこの街に住んで十年がたとうとしているのに、今だって旅の途中、という気分だ。
 このあいだなど、久々につくった名刺の肩書きに思わず「traveler」と刷り込んでしまったほどだ。実をいえば、ずっと前からしてみたかったことの一つなのだが、気がひけていたのだ。だってカポーティの書くホリー・ゴライトリーの真似っこみたいで恥ずかしいではないか(まぁ実際そうなのだけど)。…年を重ねると人間、恥じらいもなくなるものだなぁ。
 旅というのはどんな旅でも忘れられないものだ。中でも自分の内側の景色さえ変えてしまう旅というのがある。旅の途中は無我夢中でそんなことにも気づかない。それが、帰ってしばらくすると、自分の出会った光景(そこには心象風景も含まれる)が恋しくて恋しくて、何も手につかない状態に陥ってしまったりする。そうして、その旅自体に「恋におちて」しまったことを悟るのだ。
 二年半前のクリスマスの頃、仕事でキューバを訪れた。キューバの老音楽家たちを取材するという目的だ。一週間のあいだに幾つもの取材を敢行するという過酷な日程だったが、私たちは誰もが興奮していた。なにしろスタッフは大学時代の音楽サークルの友人だったし、私が帰国するたびに学生時代からの馴染みのバーに集まっては、あいもかわらず「あのCDはいいね」「いつバンドの練習しようか」なんてネクタイ姿で飲んだくれてる連中だったから。おかげで取材旅行は、まるでバンドの強化合宿のようだった。気づくと私は彼らの前では「ライター」ではなく「いつもぼんやりした頼りない後輩」になりかわり、ラム酒を注いだりしているのだった。
 老音楽家たちは誰もが素晴らしく音楽と人生(と女性!)を愛していた。彼らの無防備なほどに真摯な姿に、私は明るい陽射しの下で胸を打たれた。こんな素敵に老いることができるだろうか。こんな風に何かを愛せるだろうかと。ハバナの喧騒と朽ちた壁。サンチアゴ・デ・クーバの坂道をピンク色に染める朝焼け。
 息をのむほど美しい光景の中、私は切ない思いに駆られ、何度も立ちどまった。
 キューバから戻って二ヵ月後、アメリカ合衆国の南端、キーウエストに旅に出た。キューバの旅は忘れがたいものだったが、その後に訪れた締切りの過酷さもまた忘れがたく(!)、その骨休みのためだった。私と恋人はいつものように車を借り、無人島に架かる朽ちた橋や、マングローブの林に潜む珍しい鳥を探すことに夢中になった。私は何か小説の題材になるものを探して旅に出たことはない。それは、旅と恋人に失礼というものだ。
 そこで橋を見たのだった。
 途中がざっくりと欠けた、すでに橋とも呼びがたい不思議な形状の橋だった。その橋が遠い昔、キー諸島を繋いでいた海上鉄道の名残だということ。鉄道はそのままフェリーでハバナまで運ばれていたこと。それらを知ったとき、私の中で何かが繋がった。かすかな「ものがたり」の切れ端が見つかった気がした。ひとに聞かせるというより、自分の中で完結させたいと願う、そんな類いのものがたりだ。
 そして、ゆっくりと味わうように、ストーリーを紡ぎはじめたときに「それ」が起きた。
 去年の九月十一日。
 テロリストが世界貿易センタービルを破壊した場所から、私のアパートメントはさほど遠くない場所にある。爆音で目覚めたその朝に、私の中のものがたりはぷつりと音をたて途絶えてしまった。今、見ていることや体験していることの意味が解らないという恐怖。どうしてこんなことが起き得るのか。そのわけが解らないとき、ひとはこれほどにも怯えるものなのかと知った。
 これを書いている日の数日前から、現場近くには青い光の筋が二本、空に向かって放たれている。事件から半年。あの恐ろしい出来事を忘れないための追憶と追悼の光のツインタワー。夜空を突き抜ける潔いほどまっすぐな光の筋を見あげながら、ずいぶんと長い旅をしてきたような感覚に襲われた。
 そう、今、思うとあの日々も旅だったのだな、と思う。
 自分の心の暗い夜道を彷徨うような旅。キーウエストに一緒に出かけた恋人はもう恋人ではなかったし、キューバで私にどんなに自分が奥さんを愛しているか語ってくれた優しい目の音楽家は亡くなった。散歩に出るたびいつも見上げていた双子のビルは、もういない。
 旅をするうちに失ってきたものの多さを考えると、泣きたいような気持ちになった。
 心の中の嵐がどうにかおさまり、長いこと放っておいたものがたりに、再び目を通した。
 そのとき気づいたことがある。テロの報復騒ぎで個人的に感じたことと、この中で言いたかったことが重なっている気がしたのだ。それを確認したとき、ふたたび私はものがたりの続きにとりかかり、そして書き終えた。
 フラグラーの海上鉄道。
 キー諸島とキューバと日本。男と女。憎しみと愛。現在と一九三十年代という遠い時を経てそれらを繋げる、長い旅のものがたりだ。
 

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