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Lucky Find in NY!
超個人的なニューヨークのみつけもの$ $ $ |
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●バレンタインはガールズ天国 |
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| 近所にあるレスポのショップを通りがかったら、店頭ディスプレイのバッグがハート・シリーズに変わっていた。ここのバッグは軽くて便利なせいで、ちいさなポーチから旅行バッグまで山ほどもっている。いやだからもう買う気はないんだけどね。などと心で言い訳しつつ、散歩のたびに新作チェックはかかせない。これもコレクターの哀しいさがであろうか。しかもかなり頻繁にシーズンごとの新作プリントが登場。ということは、商品の回転が速いということでもある。気に入った柄は早めに入手せねば、瞬く間に店頭から消えてしまう。まったくもって、消費者のココロをまどわす小にくらしい店なのである。
しかし、今回はそうそそられない。相手はピンクのハート柄バッグである。飛び散るハートにLOVEの文字。いくら可愛くても、ポップでも、使い勝手が限られすぎるというものだ。暇な私は推測した。たぶんこのシリーズを買うのは、常からのレスポ・ファンではなく、男ではないかなぁ、と。彼女や奥さんのためのバレンタイン・ギフトにどうぞ、という線を狙っているに違いない。
「ハニー、きみの好きなル・スポート・サックのバッグ、買ってきたよ」
「あら、ダーリン。いくら好きでもこれはちょっと派手だわねぇ。定番の無地柄に換えてきてちょうだい」
などというやりとりが、どこかでかわされたりするのであろうか。どうでもいいことだが。実際、この時期の女性用ショップの広告はなかなか面白い。なにせ巷はバレンタイン・シーズン。ヴィクトリア・シークレットもチョコレート・ショップも、ターゲットを男性客にしぼっている。「さあ、あなたの大切なバレンタインにこのギフトはいかが♪」と、男心をぐいぐいくすぐる広告やディスプレイで迫ってくるのだ。
そう、アメリカではバレンタイン・デーは男性が女性にプレゼントをする日。花束やスウィーツ(チョコだけとはかぎらない)、おしゃれなランジェリーやちょいと気合の入った人ならジュエリーなどを贈る日である。恋人や夫婦でなくても、身近な人にカードを贈ったりもする。そこに日本のような「義理」のはいる隙はない。身近な親愛の情から永遠の愛まで。とにかくレノンじゃないが「LOVE LOVE LOVE♪」のいきかう日でなのである。
「日本ではね、バレンタイン・デーは、彼氏や夫にチョコやギフトをプレゼントする日でもあるけど、片思いの人に告白する日でもあるんだよ」
友達のアメリカ人にこんな風に説明してみた。ちょっとロマンティックでしょ、というニュアンスもこめて。しかし彼は、大袈裟に驚いて見せるのだ。
「ええ〜っ、信じらんない。好きだったら、どうして2/14まで相手に伝えるのを待たなきゃなんないんだよ」
「ぐぐ…そ、そりゃお日柄とか風習とかそういうもののチカラを借りてだな」(←この日の力を借りても告白など到底できぬ臆病者の人生を歩んできたひと)
「けっ、まだるっこしい〜〜」
ストレートに心情を顕わすアメリカ人ばかりではないと思うのだが、まぁ一般的なレスポンスとしてはこれが主流である。甘党のアメリカ人の男の子が、日本でバレンタイン・デーを体験でもしたら、嬉しくて飛びあがるに違いない。
ちなみに、酒飲みのくせに甘いもの好きな私も、この時期はさりげない根回しを怠らない。告白の勇気はなくとも、食欲ならあるのだ。去年はその甲斐あって、ミッドタウンの源吉兆庵の栗まん(←栗好き)を手にいれた。今年は、手作りチョコレートが美味しいと評判の、エル・エデンのトリュフをリクエストしてみようかしらん。
しかしこれって、日本にあてはめたら、「どこそこのチョコ買ってきてくれよな。あ、スウィートはだめよ、ビターのやつね」などと注文をつける横柄な男ではないか。そりゃ嫌なやつだな。
などと、書いている今、実は歯が痛くて、今年のバレンタイン・チョコレートは食べられそうもありません(泣)。こうなればせめて甘い言葉だけでもほしいもの。関係ないけれど、男が女に告白する言葉「ビー・マイ・バレンタイン〜僕のバレンタインになって」って、ちょっと素敵だと思いませんか?お祭り騒ぎに神聖な響きが加わるようで。
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●El Eden Chocolates / 443 E 6th St, New York / (866) 435-3336
●LeSportsac / 176 Spring St New York, NY (212) 625-2626 / 1065 Madison Ave New York, NY / (212) 988-6200
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●ラブリィな変圧器 |
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近頃日本に帰国した友達から電話がきた。世間話をあれこれした後、彼女が切り出した。
「ところで、MOMA(近代美術館)のデザイン・ストアに行って変圧器を買って、送ってくれない? お金はちゃんと払うから、お願い〜」
「へ? 変圧器?いいけどさ、郵送代もかかるし大体、日本でも売ってるんじゃない?」
「いや、それが日本の電気製品を海外で使うためのは結構見るんだけど、アメリカ製品を日本で使うタイプはなかなか売ってないのよねぇ。まぁ探せばあるんだろうけど」
ふふぅん、探すのが面倒くさいのだな。私同様ひどくものぐさの友人を勘ぐったが、どうもそれだけではないらしい。以前彼女がMOMAのストアで見たその変圧器なるものは、色が白くてとても「可愛かった」そうなのだ。可愛い変圧器……? そういえば、と気づく。形状が可愛らしい変圧器など、今までお目にかかったことないよなぁ。
変圧器といえばたいてい、愛想もへったくれもない黒くて四角い箱状の物体である。おまけに、そう大きくもないわりにむやみに重い。重いのはまあ、機能上しかたないとしても。愛想がないのは困りものだ。いや、友人に言われるまで、変圧器における愛想云々など考えもしなかったんだけどね。可愛い変圧器なるものがこの世に存在すると知った途端、自分のもっているそれが、どうもつまらなく思えてくるから、人間不思議である。私も欲しい…その変圧器。もしかして白だけじゃなく、オレンジとか黄色とかポップな色も揃っているかも知れない。件の友人ご自慢の、MOMAオリジナルのカラフルな折り畳み傘の鮮やかな色合いがうかんできた。何色を買おうか。まだ見ぬ変圧器に思いを馳せる始末である。
私がもっている変圧器は、置き場がないのでタンスの上に放ってある。ACアダプターや、充電電池用の充電器も一緒くただ。どれも黒くてゴツゴツした形状がいやで、それらを隠すために籐のバスケットに入れてある。そうか今、気づいたぞ。私も本能的に嫌っていたのね、変圧器やアダプターのルックスを(笑)。
早速MOMAストアに出かけてみたが、見当たらない。訊いてみると、確かに最近までおいていたらしいが、売り切れ後はいつ入荷するかわからないという。「ちょくちょく覗いてみてくださいよぉ」と商売上手なマネジャーに励まされつつ、気落ちした思いで店を出た。
ついでにチャイナタウンの電気屋を覗いてみれば、そこにはやはり「可愛くない」変圧器や充電器の類がごろごろ。オンラインで調べてもデザイン的に○をあげたくなる機種はなし。白くてラブリィな変圧器は、こうして幻のまま伝説の化すのであろうか。
まわりを見渡せば、シンプルで洒落た製品自体は、意外に多くあるものだ。私のお気に入りで「Hold Everything」という店がある。ここには、店名の通り「Hold」するためのあらゆる商品ーー収納棚からボックス類、ハンガーから食器まで、機能的で無駄のないデザインのものが揃っている。しかし、この「無駄のない」には盲点があるのだった。
無駄がない。かつ(ここが重要)見た目に冴える外観を施したいというデザイン心をくすぐるものとくすぐらないものが、世には存在するらしい。お洒落な傘や文房具や食器は存在しても、電気釜や肩叩き器や変圧器にそれを求めるのは難しいというわけだ。
ちなみにMOMAのこのデザインショップでは、MUJIコーナーが設けられている。そう、日本ではどこの街角にもある庶民的な無印良品。あれがNYに来た途端、近代美術館のショップ・ディスプレイを飾るほど大層な商品になるのだから、なんだか妙なはなしである。
アメリカ人の友人は、2ドル前後のシンプルなMUJIのシャンプーボトルをひと目見て気に入り、まとめ買いしていた。購入後、私が親切に日本語の値札シールをとってあげようとすると、「ノーノー」と慌ててとめられた。日本語の商品説明の「火気にお気をつけください」「プロエチレン製」とかああいう表示が「クール」なのだとか。お洒落の基準というものは、ほんに人それぞれですな。 |
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●MOMA Design Store / 81 Spring St New York, NY / (646) 613-1367
●Hold Everything / 104 Seventh Ave. New York, NY / (212) 633-1674
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●フリダ・カーロの三つ編み |
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オラ、アミーゴ!メキシコ帰りのせいで、ちょっとラテンな能天気ぶりであいすみません。しかし今年は、どうしてこうもNYに春が来るのが遅いのだろうか。これを書いている今はすでに三月だというのに、窓の外は吹雪いている。先日の豪雪の名残がまだ残る路上が、またもや真っ白に覆われていく。ロマンティックというよりは、雪かきをする近隣の人たちの筋肉痛が気がかりな今日この頃である。
さて、メキシコはシワタネホという小さな漁村に行ってきた。あまりに寒い日々が続くNYをえいこら脱出!という魂胆である。海辺は、毎日気温三十度を越える真夏日。零下のNYとくらべ、その気温差まさに三十度以上。帰国後は、脳内もお肌も、あまりのギャップに錯乱気味である。心は、すきあらば海辺の明るい街へと舞いもどろうとする。
暑いというのはいいよね。余計なことが心から見る間に蒸発していき、「今夜のごはんは何にしようかなぁ」「早く喉の渇きをいやしたい、ビールかワインかそれが今の命題だ」なぁんてことにしか頭がまわらなくなるのだ。いや全ラテン人口がそうなわけでなく、私だけかもしれぬが。
ちなみにNYに帰って早々、出かけたのは近所のメキシカン・バー。
外の雪を見ながら、暖房のがんがんに効いた店でトルティーヤをかじり、マルガリータを啜るのもおつなものだ。飾られた椰子の木がプラスチックなのが、もの哀しいところだが。
それにしても忘れられないのが、現地で食べたメキシコ料理の味。移民の街NYにメキシカン人口はこれまたとりたてて多い。いたるところにメキシカン料理店やテイクアウトの店がある。しかし現地で食べた料理は目からウロコ!今まで食べていたメキシカンもそれはそれで美味しかったが、まるで味が違うのだ。さっぱり軽やかで、チーズやトマト自体の味も違う。
それもそうだろう、私が訪ねたのは海岸沿いの小さな街。鶏や卵や果物の育て方がまるで違うに違いない。裏通りの小さな店で食べたオムレツは卵がまっ黄色で、トマトは幼い頃の夏休みに食べたときのような懐かしい味がした。アメリカのメキシコ料理はいわゆるテックスメックス、アメリカ向けにアレンジされたものなのだろう。
それでも、少し足を運べば、NYでも思いきり本物のメキシコ気分に浸れる界隈がある。スパニッシュハーレムと、ロウアー・イーストサイドだ。以前、メキシコ人の友達に連れて行ってもらったスパニッシュ・ハーレムのグロッサリーには、今まで見かけたことのないような何十種類ものチリやハラペーニョが並んでいた。その彩りの鮮やかさに目をまるくしたものだ。そうはいっても、スパニッシュハーレムとなると、地元の道先案内人なしに気軽に行くには少し気がひける。まるでスペイン語を話さぬ自分が異邦人のような心地になってしまう界隈なのだ。
ハーレムに比べ気軽に行けるのが、ロウアー・イーストサイドだろう。
ここで何の気なしに入った「エル・ソンブレロ」ーー帽子レストラン、という可愛い響きの店ーーがよかった。モーレ・ソースもトルティーヤの焼き具合もかなり現地に近い味。そしてびっくりしたのが、マルガリータのピッチャーであった。ビールやサングリアのピッチャーならわかるが、マルガリータのピッチャーにお目にかかったのは初めて。しかも日本人の女三人で意気揚揚とそれを飲み干したのだから、店の人はもっとびっくりしたかもしれない……。
ラテンに焦がれると無性に色の綺麗なものも着たくなる。実は、メキシコに行く前に観た「フリダ」(メキシコ人画家、フリダ・カーロの生涯を描いた映画)の影響で、すっかりラテン・フォークロア風ないでたちが気になっている私。むろんメキシコ土産に手刺繍入りの綿ブラウスも買ってきた。
NYで気に入っているのは、カリプソという店だ。ここの商品ディスプレイは、色別になっていて、品選びのセンスがとてもいいのだ。名前の通り、どの服もリゾート風の華やかさと風通しのよさがあり、暗い真冬の空の下ではなおさらのこと着たくなる。
春浅いNYで、民族調のブラウスを着てフリダ風に髪を三つ編みし、マルガリータを飲む…そんな怪しい東洋人の女を見かけたら、見てみぬふりしてくださいませ。
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●Calypso / 280 Mott Street New York, NY/ (212) 965-0990
●El Sombrero / 108 Stanton St New York, NY / (212) 254-4188
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●灯りの効用 |
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先週から日本に帰ってきている。里帰り、といえば聞こえはいいが。単なる「歯医者帰国」なのである。
アメリカで歯科にかかるのは、大変な勇気を必要とすることである。治療に関しては、日本よりずっと進んでいるといわれる国。大仰な恐怖心を抱くアメリカ人は少ないのではないのだろうか(まぁ歯医者が大の苦手な私にとっては、どこの国でもこわいことにかわりはないのだが)。
しかしアメリカの場合、もっとこわいのが、治療費だ。治療費の予想額を宣告されるのは、真夜中にホラー映画の予告を見るくらいに、恐ろしいのである。なぜ「宣告」なのかというと、額によっては支払えない患者もいるわけで。最初におおまかな費用を医師がつたえて患者の了承を得るのが一般的なようである。なにしろ、ルートキャナルーーいわゆる神経治療ーーを一本の歯に施すだけで、軽く日本を二往復できてしまう治療費がかかるのだ。休暇旅行も諦めなくてはならないのだ。ね、こわいでしょ!?
アメリカの医療制度に関しては一言も二言もある。けれど今、こうして帰ってきている間にアメリカという国がおこしていることに関しては、その何倍何十倍ものことばが胸のなかをうずまいている。でもうまく言えないので、虫歯が痛む口を閉ざしながら、横浜の歯医者に通う地味な日々である。あ〜地味だ。地味なうえに、やっぱりこわい(涙)。
そんな日々のなか、音楽をやっている友人を通し、坂本龍一さんからのチェーンメールがつたわってきた。くわしい内容はひかえるが、そこに書いてあったのは、音や灯りという「ことば」に関してだ。毎晩、一定の時間に身のまわりの灯りを点滅させることによって、戦いを途絶えさせるための自分の意志をつたえよう、という内容だったと思う。
ああ、そうか、と思った。戦争反対のチェーンメール。これまで何通受け取ったことだろう。それらがどれだけ本当に必要な場所に「つたわる」のかは、わからない。けれど、つたわることを祈るしかできない。そうして、自分の名前を書き添えて別のひとに託していく。そして今回、提案されているのは、ことばのかわりの灯りだった。
それで去年の9/11のことを思い出した。悲劇から1年たった夜、NYのあちこちで、そして全世界で灯されたのは、数えきれないくらいのキャンドルライトだった。同じ時間にささやかな炎を灯すことによって、思いを伝える。洒落たキャンドルショップで見つけたようなうつくしいキャンドルから、星条旗柄をペイントした手作り蝋燭まで、ありとあらゆる炎が通りのいたるところに灯された。
炎がつたえることばは、無口ながら雄弁だ。コンサート会場で多くのひとの手にゆれるペイライトやライターの灯り。空をいろどる花火の華やかな色模様。もしかして不確かで届きにくいより、視覚とにおいを通してシンプルにひとの心をうつものなのかもしれないな。
ーー大切な何かを誰かにつたえたいときは、ことばのかわりに、ともしびに託すのもいいかもしれない。ふとそんなことを思った。
来月、NYに戻るときはもう春になっているだろう。NYに数多くあるキャンドルショップや照明器具の店。ゆっくりとそれらをわたり歩き、自分のための灯りでなく、だれかに何かをつたえるための灯りをさがしたい。
不安定で不確かな今の時代に、ふとそんなことを思ってしまったのだった。
ということで、このNY-BBのエッセイも今回で最後。靴までぬがされた(!)JFK空港の物々しい警備をくぐり抜けようやく日本にたどりついた途端、戦争がはじまった。そのせいで、ついつい灯りが足りないような、ほの暗い最終回になってしまった気がする。
読んでくれたみなさん、ありがとう。 またどこかで、未来をともす明るい灯りのもと、会えたらいいな。
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●The Candle Shop / 118 Christopher Street New York, NY / (212) 989-0148
●Illuminations / 54 Spring St New York, NY / (212) 226-8713
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