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青春のモリー・リングウォルド |
初出/小説すばる 2003年9月号 | |
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近ごろ自分の中だけで流行っている仕草がある。とても簡単。肩をおとし、これみよがしに深い嘆息をもらす。そしておもむろに目をぐるりんと回してみせる。これだけだ。 いわゆる「もう参るわね、キャサリンったら」なんて台詞が似あいそうなアメリカ式の仕草である。目の回し方は、大げさなほどよろしい。腰に手をあてるのもおすすめだ。 私の住むNYでも、こんなわざとらしい仕草をする人はめったに見かけない。ときおり遭遇すると「おっ、いたいた」と得した気分になる。私も試しに人前でやってみたが、アメリカ人にウケて嬉しくなった(そんなことでウケをねらっても仕方ないのだが)。 さてこの仕草で思い出すのが、私にとっては女優のモリー・リングウォルドだ。 ジョン・ヒューズ監督の八十年代青春映画に登場する彼女は私のアイドル。彼女のヒューズ監督作品三部作と称される「すてきな片想い」(原題”16 candles”の方が断然すきだなぁ)「ブレックファスト・クラブ」「プリティ・イン・ピンク」に甘く漂うせつなさとおかしみ。悩めるティーンネイジャーを演じる彼女はスクリーンの向こうで困りはて、哀しみ、目をぐるりんさせてため息をつく。 そもそも私は、かっこ悪い女の子主体の青春映画が大好物。このモリーしかり、「ウェルカム・ドールハウス」のドーンしかり。映画のなかのモリーは、クラスの人気者にはなれそうもない冴えない女の子。 けれどかっこ悪さは外見だけの問題じゃない。 過剰な自意識をもてあまし、あげく心の内側がぎざぎざしてきて、自分に向きあう苦しさにじたばたもがく不器用な少女の時間。 そこにアメリカっぽい小道具ーーパーティーで飲みすぎるパンチや、趣味の悪いプロムのドレス。何かと敵視してくる美人のチアリーダーとかばかでかいアメ車にのった男の子ーーが加わると、もうわくわくしてしまう。 実際には私は相模原のいなかの、隣の牧場で牛がのんきに鳴くような高校に通っていたので、そんなものとは縁がない。でもどうせ遠い出来事だ。すこしぐらいアタマのなかで脚色したってかまわないだろう。 宙ぶらりんの自意識の始末に困ったり、せつない片思いを思い出したいとき。彼女の映画を観る。そしてやんなっちゃうわね、と目をぐるり。ほら忘れていた青春が戻ってくる。 実は先日、彼女が出演すると前宣伝にあったブロードウェイの舞台を観に行った。どうしたことか舞台に彼女の姿はなかった。 落胆しながらもわずかにほっとした。英国の貴婦人を演じるモリーなんて私の中のモリーらしくない。 ファンとは勝手な生き物だ。 | |||
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かくすひと、見せるひと。 |
初出/J-Novel 2003年7月号 | |
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今年ほどマスクをした人を見かけた春はない。 私自身は小学生時代のインフルエンザ流行以来、したことがない。大昔のことだが、いまだつけ心地を覚えている。柔らかなガーゼの内側に広がるすわん、としたしめりけ。鼻の下にうっすらかいた汗。昔のマスクは通気が悪かった。 毎年一度、今住むNYから日本に里帰りするせいでよけいにかわり様が見えるのだろう。去年の春は東京の町でもこれほどマスクは見かけなかったように思う。花粉症用のすぐれたマスクが売り出されたのが、今年だったのかな。それともマスク流行り、マスク日和というものか。 成田からNYに戻る機内でもこれまたみかけた。こちらはSARSを怖れてのマスクらしい。NY経由ブラジルのサンパウロ行きの便で、マスクをしているのは日本人のみ。ブラジル人たちは空いた座席を倒し、毛布もなしに寝ていた。 NYに戻った途端、ぱたりとマスクをする人を見なくなった。そういえば一昨年の九月十一日にはこの街にもマスクをした人がたくさん溢れたが(街中すごい煙のにおいだった)。いまや工事現場のおっちゃんくらいである。 そんななか、日本に一時帰国していた友人が戻ってくるなり憤慨していた。 「頭にくる! 私ひどい花粉症だから日本から持ち帰ったマスクをこっちでもしてたの。も〜何人の人に笑われたか」 指さしてぎゃはは、と大袈裟に笑われたり、まじまじ見てぶーっと吹きだされたりしたそうな。人がどんな格好をしようが気にもとめないニューヨーカーにとって、マスクは相当珍妙なものらしい。 件の友は花粉で苦しむより笑われたほうがまし、と怒りながらもマスク姿をさらしている。気の毒だが、ちょっとおかしい。そのとき思ったのだ。 この街じゃ、見せるより隠す方があやしいのかな、と。ものすごい露出度のど派手ドラッグクイーンを見かけても平然と見守る通行人だが、顔を黒いニット帽で隠した男とすれ違えば恐れおののくはず。隠す人に敏感なのは、この街のなせるわざだろうか。 もうすぐ夏。 私も年に似合わぬぴらぴらのサマードレスで肌をさらし、しゃあしゃあと歩いてしまうのである。 | |||
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NYプラスチック通り。 |
初出/別冊文藝春秋 2002年7月号 | |
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心が萎えたとき、ふらりと出かける場所がある。 いつもお気楽に生きている私だが、時にはキモチが噛み古したバブルガムのようにへちゃりと萎むこともある。するとどうなるか。これが常日頃つくっている愚にもつかぬもの、 取るに足らぬものをつくりたくなくなるという症状に見舞われる。そんなものならつくらなくてもよさそうだし、狭い部屋中が売るに売れない金属片や木片、無数の紙などで埋まらずにすむわけだから、いいのかもしれぬ。 だが、そういうわけにもいかない。なにしろ私はそんな愚にもつかぬものを愛しているからだ。物を書く傍ら、絵やらオプジェづくりを手がけるのは、この無意味な情熱を少しでも生かすためである。 そんな折に散歩に出るのがキャナル通りだ。私の住むソーホー地区のはずれにあるこの通りは、マンハッタン島の南側を東西に突き抜けている。東側はチャイナタウンの目抜き通りになっているが、 私が好きなのは西側、ブロードウェイと六番街に挟まれたわずか数ブロックの辺り。ここに軒を連ねるのは金物屋に鉛管屋、照明器具屋、何に使うかは不明の機械部品屋等々。通りは猥雑ながらもどこかハードボイルドな気配に満ちている。ドリルの替え刃や電気ノコギリの並ぶ店先は、さっき通り抜けてきた小洒落た通りとはまるで違う「そこいらの柔なお嬢ちゃんは受けつけませんぜ」という肉体的な魅力を醸し、わくわくしてしまう。 中でも好きなのは、この界隈に数軒ある「プラスチック屋」だ。そのわけの解らなさ加減ときたら。他の店に比べても、ぬきんでている。 「All your plastic need」と掲げられた看板に、意味ありげににやつく男友達。少々エロティックな「プラスチックの必要性」なんぞを思いうかべているのだ。でもそういった類の店でもない。この店はつまり「プラスチックで何かを作りたいひと」のための店なのだ。入り口をくぐると目に入るのは、何ロールもとぐろを巻く様々な色や模様のアクリルシート。必要とあらば部屋中の壁と床をサイケ調のシートで覆ってしまえそう。色とりどりのプラスチックの破片に様々な形の容器。 私などはまだ一見の素人客だから、それらの圧倒的な色彩と存在感を前に何をつくろう、何に使おう、などと軽い酩酊状態に陥るばかりだが、プロフェッショナルな風体の客は違う。「鏡仕立てのアクリル版をこのサイズで切って」などと注文をつけもする。 そんな「ただものでない」人々を眺めるうち、私は萎んだ心が、昔懐かしいストローで膨らます風船のように、無駄なエネルギーでみたされていくのを感じるのである。 愚にもつかぬもの、取るに足らぬもの。しかしある人々には何かをつくりだすための素晴らしきものが溢れかえる場所。いつもキャナル通り西を歩くとどきどきする。愉し怪しい謎の通りである。 | |||
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