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感覚のスケッチブック。 | ![]() |
第11回小説すばる新人賞 受賞記念エッセイ 初出/青春と読書 1999年1月号 |
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暗がりに、白目の部分と弓なりに並んだ歯のかたちだけが、白く浮き上がっていた。 怯えながらよくよく目を凝らすと、黒い肌の子供たちが塀の上に座って、人なつこい笑顔をこちらに向けている。島を訪れたときはすでに夜だったので、私を出迎えたのは青い海でも白い砂でもなく、こんな一場面だった。 初めてカリブ海の島を訪れたのは、もう八年は前のことになるだろうか。 ジャマイカの中でも、モンティゴベイやオーチョリオスといった観光地として整備された土地ではなく、レイドバックしたちいさな村。子供の手首ほどもあるガンジャをふかし、日がな道端に座りこむラスタマン。澄んだ目をした山羊が、草のはえた道をゆっくり横断する。そのたびに停まり、山羊が横切るのを気長に待つおんぼろのフォード。 私は仕事仲間のRは、他の白人観光客のように、終日ホテルのプールサイドに寝そべるようなことはしなかった。子供のように草むらや海岸の洞窟に入りこむ。夕暮れには、地元の人と地酒のラムで飲んだくれた。 沈みかけた夕陽が、血のようにとろりと海に流れこむ。それを茫然と眺めるのが、黄昏時の儀式だった。金色の照り返しを受けた女友達の頬が、はかなげで綺麗だった。日頃おしゃべりなRが、その時だけは神妙な顔で海を見つめていた。 彼女は、その緑色に覆われた島で恋を始めた。やんちゃだけれど、ひりひりと灼けるような恋だった。七マイル分のビーチを彼女とその恋人は、喧嘩をしながら裸足で歩いていた。私は、その姿をぼんやり瞳に映しながら、帽子編みのオバちゃんと世間話をしたりして過ごした(なぜか私の周りに寄ってくるのは、地元のオジちゃんオバちゃんばかり。どうしてなのだ?)。 Rは私の顔を見て言った。 「あんたってホントに好奇心旺盛なんだから。私なら、あんな風にあれこれ話しこんだり、できないな」 そうかなァ。見ず知らずの人の家に入りこんで、ハンモックで昼寝して帰ってくるほうが、よっぽど大胆だと思うよ。こっちも負けずに反撃した。 けれど、彼女は見抜いていたのかもしれない。 私が、Rのように無頓着に、太陽の下の恋に自分を放りこめないこと。何かを吸い込もうと濃い空気の中であがきながら、傍観者にしかなれないことを。 それでも私たちは幸せに自堕落に、短い休暇を過ごした。 帰りの飛行機の中で私は呟いた。 「あーあ。また仕事に戻るの、嫌だなぁ」 けれど、Rはこともなげに言った。 「そぉ? 私なんか家に帰って、仕事の依頼電話が一本も入ってなかったら泣くな」 「……私なら喜ぶけど」と私(今思えば、この会話、互いの人生への態度を象徴してたかも。私はこの後、NYなぞへやってきて隠居同然に暮らし始め、彼女は東京でエネルギッシュに仕事をこなしていたのだから)。 それでもこの旅の後、私は初めて小説というものを書いた。心の中に生まれたものを書きとめておかなければいけないような気がした。結構頑張って書いたのだが、いつのまにかそれらは、どこかへ消えてしまった。どこへやったんだろう……ま、いいか。また書けば。そう思った(けれど、怠け者の私は……むろんそうはしなかった)。 NYへ来てからは、Rともいつしか疎遠になった。彼女は遠いものに目を向けたりしない。私も彼女を思い出すことが少なくなった。 そしてしばらくすると、Rが急に亡くなったという報せがきた。事故ではなく、自ら命を絶ったのではないかという噂も追ってきた。 私は、淋しさよりも口惜しくて涙をこぼした。 あんなに逞しい恋をするヤツが、生き方するヤツが、人生諦めるわけないじゃん。 そして私は、あの時の熱帯の記憶を再び書きおこすという計画を、静かに諦めた。 まだ、終わってはいないのだ。夕陽に染まった彼女の横顔は、まだ辿り返すには、痛すぎた。だから、書けないでいる。凪いだ海は、まだ胸の片隅にピンで留められたままだ。 そして八年後、私はもうひとつの物語を書いた。今度は、トリニダッド・トバゴという島が舞台のお話である(そのあいだ、何してたかというと、絵を描いて道端で売ったり、旅したり、つまりはフーテン((古い!))のような暮らしをしてたのさ)。島から帰ってきた時は、小説を書く気などなかった。私の中では、まだ何も熟しても発酵してもいなかったのだ。 ひそやかに機会を待っていた物語の種は、ある日、発芽した。それも唐突に一年も経ったある日。厳寒の、NYで。 もしかしてそれは、トリニダッドでなくてもよかったのかもしれない。その前に、マルティニーク島やタークス&ケイコス、プエルトリコなどにも出かけていたのだから。それらの島は、私にとって未知のものでありながら、懐かしくもあった。熱病に冒されたような感覚が、NYの冬の空気の中で、何かのスイッチとあわさり、蘇った。 ただ、たったひとつのこと、ひとつの場面を描きたくて、原稿用紙三百枚も費やしてしまった気がする。 耳の中で鳴り響くスティールドラムの音。切ない色をして燃える島や、濃厚な熱帯の空気。それらを思い出したくて、NYの暖房の効いた部屋の中、カリプソをかけて踊る私は……相当のお調子者だったかもしれない。 けれど、言葉を尽してもなかなか辿り着けず、じたばたしてしまった。新人賞に選んでくださった選考委員の先生方にもその辺りを指摘されてしまった。く〜っ。 この「パンの鳴る海、緋の舞う空」は、私の感覚のスケッチブックである。絵を描くように綴ってみたかった。恋は叶うかもしれない幻想だということ。陽射しは確かに毛穴から浸透してくること。音には色があること。 劇的なストーリーよりも、瞬き一回分の閃光のような恋の心情が描きたかった。伝わっただろうか。少しでも。 Rにきいてみたかった……。 都会の片隅で傷みを抱えて生きる主人公の男女が、熱帯の風を受け、覚醒していったように。私も、この小説を書くことによって、少しだけ目覚めたかもしれない。言葉であらわす、ということの魔力と魅力に。 また眠りこけちゃって、次に書くのは八年後っていうのも……なんかサミシいしねぇ。 あと少ししたら、Rの笑顔も新しいスケッチブックに呼び起こせるかもしれない。 |
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人生、ドミノ倒し。最初のひとつを 押すのは、確かに自分の指。 |
第11回小説すばる新人賞 受賞記念エッセイ 初出/月刊公募ガイド 「賞と顔」 1999年2月号 |
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小説を書いたのは、NYの冬が寒かったから。─こう書くとフザけているようで、せっかく公募ガイドを読んでこれから真剣に何かに挑戦しようとしている人に叱られそうだ。けれど、本当なのだ。 正確には、去年のNYの冬が寒く、私は(仕事もなく)ヒマで、そして日本語に焦がれていたから。すべての要素が偶然に重なった。そこでため息まじりにワープロに向かいだした。灰色の空を眺めつつ遠いカリブの島を恋い、遠い日本の美しい言葉に焦がれながら。元来、入りこみやすい質なので、書いている間はカリブの熱い恋に酔えた。書き終えるといつのまにかNYにも遅い春がきていた。 たまに自分の人生(というと大袈裟だけれど)、ドミノ倒しのようだなぁと思うことがある。ひとつがパタンと前に倒れる。その拍子に次が、そのまた次が、という風にぱたぱた倒れて、気がつくとこうなっていた。そんな感じだ。 音楽が好きで音楽誌の編集者になり(ちなみに私の配属希望は宣伝だったが、その会社は小さく宣伝部などなかったのだ)、誘われるまま音楽記者になっていた。取材で何度も訪れたNYにふと住みたくなり、職を失ったので絵を描きはじめた。いつかそれが生活の糧になると、逆に言葉が、文章が恋しくなった。書いている途中で、NYの紀伊国屋書店で見つけた小説すばるを「立ち読み」し(そのテの本は買ったことがなかったし、なにしろ日本の本は高いのである)応募してみた。結果が出る頃には正直、小説のことは忘れ、また絵に没頭していた。……こう書いてみると、我ながらとてもいい加減な、その場限りの生き方をしているようだ。 それでも幾つかの選択をしてきた気はする。 多分、それは、暇を恐れないこと。本当にそれをしたいと思うまでは、暇の境地に自分を野放しにしておくこと。そのかわり始めたら、自分の百パーセントを注ぎこむこと。そうやって創った作品を展示するギャラリーを持てたことは、私にとってしごく幸運なことだ。これからはギャラリーに出して恥ずかしくないものを創りたい。偶然&衝動オンリーではなく。 だって、最初のドミノを倒したのは、確かに自分の指なのだから。 |
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