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    Don't go over $30!
       ニューヨークのおこづかい帳
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1999  October  アートの秋は美術館荒らし
●今月のお買い上げ
グッゲンハイム美術館のベレー帽 $10
ミロの消しゴム            $3.50
モンドリアンの手帖              $4
美術館四軒の入館料         $7
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                              合計 $24.50
 
 ある日、友達と近所のグッゲンハイム・ソーホー美術館のショップでおちあうことにした。ここはアップタウンにあるグッゲンハイムの別館。アートグッズや本がたくさん揃うここは、待ち合わせの時間つぶしには最適な場所なのだ。……と思ったら、あれれ、しばらく見ないうちに閉館しているではないか。そしてウィンドウには「PRADAショップ、もうすぐオープン!」の文字が。よくよく見ると、美術館ショップは規模を縮小し、脇の地味〜な店舗に移っていた。展示スペース自体も、ビルの二階にひっそり追いやられたようである。つまりロケーション抜群のブロードウェイの角地はブランドショップのクイーンに譲り、自分はそそっとお隣に移動したというわけだ。すでに入館料も無料に。美術館よりギャラリーにサイズダウンしちゃったみたい。ああ、グッゲンハイムよ、おまえもか……である。
 私の住むソーホーの街は、ギャラリーや個性的なショップの並ぶアーティスティックな地区……というのは、もうひと昔前のお話。今は家賃の高騰と企業参入のおかげで、個人営業の店は軒並み退散。かわりにバナリパやJクルー、フェラガモに各種ブランドショップと、すっかり大資本に牛耳られたコマーシャルな街に様変わりしちゃったのだ。ギャラリーもまだまだあるにはある。が、これもコマーシャルなアーティストの作品展ばかり。無名だが個性ある才能を発掘するギャラリーは、とっくにチェルシーの川沿いの倉庫外に引っ越し済みなのだ。よってこの界隈で見かけるのは「やっぱ美術館よりプラダよねー」と呟いていそうな、小奇麗に着飾った女の子たちが圧倒的に多い。なんだかプチ五番街って呼びたくなるような街並みだ。小汚い格好の私はそそっと身を縮め、パンや卵を近所のデリに買いに行くのである。昔、原宿に住む林真理子が、近所に出かける自分の姿が情けなくて……ってなことを書いていた気がするが、あの気持ち解るなぁ。私も買い物は好きだし、別にグッゲンハイムに義理はないのだが、なんとなく同情したい気になるのは、ご近所のよしみってもんだろう。今までアートのことなど気にもとめなかったが、いざ自分の身近な場所から消えていくとなると、何となく物寂しい。
 そういえば旅行で着ていた頃は、美術館やギャラリーを足が棒になるほど回ったものだった。近頃ではまったく縁遠くなっている。よし、これを機会に「足が疲れる」なんて年寄り臭い理由で遠のいていた美術館や博物館に行ってみようではないか。と、決心した矢先。変人のアーティスト友達から誘いがきた。
「自然史博物館で疫病展やってるんだよね。行かない?」
 疫病って一体……。それ、芸術じゃあないよねぇ。ピカソでもモネでもなく、久々の博物館見学にそんな不気味なものを眺めに行くのは、ちと唐突な気がしなくもない。だが、興味なくもない(←ゲテモノ好き)。ということで行ってきました、疫病、伝染病展。さなだ虫の写真やペストのなりたちやHIV菌の巨大模型。ああ、思わず子供の後に順番まちして、顕微鏡で生ウイルス(!)覗いている自分が悲しい。大感動!はなかったけれど、なかなか興味深い体験させていただきました。帰ってきて早々、映画でカミュ原作の「ペスト」を見返したりして。怖いぞぉ、伝染病は。
 が、いつまでも疫病やギョウ虫のことを考えているわけにもいかない。調子づいた私は次に、メトロポリタン美術館に出かけた。お目当ては南太平洋コーナーのパプアニューギニアの巨大工芸品。これには何度見ても、心が遠い場所に連れていかれるほどの感動をうける。なぜだろう、友達に以前「ともそって昔、島の娘だったんじゃないの?」と言われたことがあるが、この島の生まれだったんだろうか。
 ところでNYのアートスクールを卒業した友人は、こんなことをよく口にする。
「メット(通はこう呼ぶらしい)や自然史博物館なんて、オレの庭だったもんよ」
 くー、博物館が庭だって? 私もそんな風に呟いてみたいもんである。目指すは「羊たちの沈黙」のジョディ・フォスター? そんな私も最近になって、旅行者時代にはできなかった美術館の楽しみ方ができるようになったみたい。全部見ようとするから、疲れ果て億劫になってしまうのだ。テーマを決め、そこだけを観覧すれば集中度も感動もますというもの。で、最近では広い館内の9割の展示物を素通りし、目的物だけに突進するようにしている。これなら気軽に来れるというもの。
 おまけに自然史博物館やメトロポリタンの入場料、今まではずっと「サジェステッド・プライス」の$8や$9なりを支払ってきたが、晴天の霹靂のような友達の言葉。いわく「あれはあくまで、サジェストの料金。自分の払いたい金額、いくらでもいいんだよ」そんなこと言ったって、と疑いつつも、彼の後について恐る恐る$1だけ払ってみた(友達は25セント!)。チケット売り場のおばちゃんがちらりと私を見る。どきどき。が、文句を言うこともなく、入場券がわりのブリキのバッヂを手渡してくれる。なぁんだ、本当にこれなら何度でも来れるよね(ただし近代美術館はサジェスト料金ではない。あくまで本料金である)。貧乏な学生も気軽にアートに触れられるし、お金持ちの芸術愛好家はどぉんと寄付をする。これって、よく出来た仕組みだなぁと、しみじみ思う。以前友達がメトロポリタン美術館の特別会員たちのガラ・パーティーに出かけたそうだが、赤い絨毯の上をソワレやタキシードでめかしこんだスノッブなニューヨーカーたちが踊る、恐ろしく華やかな世界だったらしい。……はぁ、この街には色々な世界があるものなのね。
 さて、ミュージアム・ショップもそこらの雑貨屋さん以上に楽しいぞ。特にダイアモンド展のときのグッズ・コーナーなんて宝石柄の小物ばっかで可愛かったなぁ。例のしょぼいグッゲンハイムのショップのセールでは、何とエイミー・チャンのバッグも半額でみつけたもんね。これぞアートとブランドの共有?
 これからは敷居の高かった美術館を「庭」とまではいかなくても、「近所のおじさんち」くらいには思いたいもんだなぁ。などと胸に誓った、少々セコい芸術の秋。
(追記 in 2001/1)
 この後もソーホーのコマーシャル化は、おそるべく勢いで進んでいる。いつも行くプリンス通りに面した郵便局も、いきなり角を曲がった地味な場所に省スペース化され、追いやられた。かわりに出現したのは、小洒落たインテリアショップ。のぞいてみたが、キャナル通りの金物屋と違って、やたら洒落てはいるが、ばか高いハードウェアばかりが並んでる。日本から帰ってきたときは、ピカソのデッサン展をよく催いていたお気に入りのギャラリーが突如、COACHショップに様変わりしていてびっくり。とうとうCOACHまでソーホー参入とは。でも、大好きな安物服のデパート、H&Mが近所にもできるというニュースにはにんまり。ものぐさな私は、これで地下鉄に乗らなくてもますます買い物の用が足りてしまうってことなのね。ああ、こうして私の頭の中も画一化されていく……。

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1999 November  ビーズは忙しい日々の心の友?
●今月のお買い上げ
手作りビーズのチョーカー   $20
ガラスのビーズ あれこれ    $8
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                                  合計 $28
 
 この時期になると、毎年日本に「一時温泉帰国」をする私。友人一同からも「毎年、ともそが帰ってくると、ああ今年も温泉シーズンがきたなぁと思うんだよね」と言われるほどである。そんな私を「湯けむり探知機」と呼んでくれてもよくてよ。さて、今年も恒例の帰国日が近づいてきた。アメリカにも探せばあれこれホットスプリングはあるようだが、やっぱ温泉はなんといっても日本だよねぇ。浴衣の裾みだして、日本酒さなぁ。と好みの地酒の銘柄などあれこれ思い浮かべていたら。い、いかん。ついでに思い出したくないことも思い出してしまったではないか。普段は隠居老人のごとくのほほんと暮らしている私だが、日本で二ヶ月近くも温泉三昧するとなれば、それなりのしわ寄せもやってくる。「忙しい」と口に出すのは、ウォール街のヤッピーみたいでかっこわりぃが。やはり言わせてくれ。忙しいよぉ。へへ、滅多に使えない言葉なので、帰国記念に言ってみました。
 それにしても多忙なときって、どうしてこうも他のことに興味が湧くのであろうか。それも切羽詰っているときに限って、別の世界への執着度もますのが不思議。なぜコンピュータで絵を描いているつもりが、インターネットでスポーツ新聞の芸能欄をチェックしているのだ?(しかもバックナンバー一年分さかのぼってまで……)なぜインテリア大改造を今しなきゃならんのだ? 窓際ガーデニングしてる場合か? なぜ〜なぜ〜のコダマが心に鳴り響く今日この頃。私の心は今、ビーズへと飛んでいる。
 つい先日、取材でおしゃれなアッパーウエストの街を歩いていたときのこと。仕事相手の方たちと談笑しつつも、私の視線は鋭くある店をチェックしていた。なんて、可愛いビーズ屋さん。手作りっぽいガラス・ビーズがこじんまりとした店先にたくさん並んでる。あれはチェコ・ガラスかな、エスニックなアフリカン・ビーズも結構揃っていそうだな。今すぐ店内に飛び込みたい、が取材中である。気もそぞろになりつつ、後で来ようとこっそり心に誓う。で、行ってきました。そして……やはり買ってしまったではないか。チェスト一杯分はストックがあるから、使い切るまでもう買わないぞと誓ったのに。見るだけねと心に言い聞かせたのに。守れなかった締め切りと同じくらい、今となっちゃむなしい誓いであることよ。
 机の上に買ったピーズを並べうっとりしていると、昔の創作欲が再びむらむらとよみがえってくる。実は、私は本のプロフィールにジュエリーアーティストって肩書きまでついたことのある(私の話を聞いた編集さんが勝手につけてくれただけだが)アクセ作りオタクなのだ。なんのことはない。その昔、道端で売っていただけであるが。これって、もしや経歴詐称? あ、でも一応ギャラリーとブティックに卸していたこともあるし。サッチーと呼ばないで。だが大人の分別を身に付けた私は(どこがだ!?)、今ここで始めては非常にまずいと決断。泣く泣くいとしいビーズたちを引き出しにしまう。それにしてもこんなに材料を貯めこんで私はどうするつもりなのか。生来ビーズ屋さんでも開くつもりか。そんな疑問を脇におき、締め切りもおいて、気分転換に散歩に出てみた。
 ブティックの建ち並ぶソーホーはプリンス通り。ここには路上で手作りのジュエリーを売る人がいっぱいいる。その中のひとつが断然、私の目をひいた。なんと繊細で、手のこんだビーズのアクセサリー。ああ、またほくほくとお財布を取り出しているよ、私。ベッツィという可愛い女の子の手作りだ。彼女は週末だけ路上でお店を出しているのだという。いかにも大量生産のチャイナ・メイドのブレスレットなどが氾濫する露店(?)の中で、彼女の丁寧な作品はひときわお客を集めていた。買った物をこのままPeeWeeの読者にとられてしまうのはクヤしいので、別会計で自分の分まで買っちゃったもんね。材料を買うだけでなく、出来合いにまで手を出すの?と言われそうだが、それがビーズおたくの真髄というもんなのである。ほほほ。湯けむり探知機以外に、光りもの探索機ってあだ名ももらえそう。
 おまけに最近は、日本にもアメリカにも手頃な値段で天然石やビーズを買えるウェブサイトがいっぱいあることも知った。アリゾナの珍しい石や東欧のガラスビーズをクリック一つで簡単に買えちゃうインターネットって、便利だけどすごく危険だよね。それでもサーチエンジンで次々検索したりして。ああ楽し。
 ……ん?そうこうしてるうちに、何かしなきゃいけないことがあったような。なんだっけ。温泉宿調べだっけか。 

(追記 in 2001/1)
 今気づいた。ビーズに関しては、同じようなことを今月の日記にも書いたばかり。思えば、高校生のときも同じようなことしてたっけなぁ。なんだ、結局アクセをつくったり材料買ったりするのが心底好きなだけじゃん、私。人生進歩なし。しかし取材の途中も目はくまなくビーズ・ショップをチェック、ってとこが……我ながら一貫した人生への姿勢を感じるぞ。って、そんなエラそうなもんじゃないすね。反省猿。


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